犠牲について考える

ラグビー日本代表の多くの方が口にしていた『犠牲』という言葉。

家族や仲間との時間、趣味などプライベートのほとんどを犠牲にしていたかと思います。そのおかげで、あの大偉業が成し遂げられ、その犠牲が報われたと思います。そして、我々にも夢や感動をくれました。

改めて、御礼を申し上げます。ありがとうございました。

今回は、この『犠牲』について考えてみたいと思います。

突然ですが私は、学生時代、野球少年でした。

2番セカンド。

今の野球では、2番バッターにスラッガーを据える戦略も出てきましたが、当時はチームの繋ぎ役が2番バッターを務める事が当たり前だったと思います。

私もその例に違わず、そんな役割でした。

ノーアウト、時には1アウトでも、ランナーが1塁にいれば、結構な確率で犠牲バントのサインが出たと記憶してます。

その当時の私は、これが自分の役割だと認識しており、誰よりもバント練習をしていました。そのおかげで、中学の時の結果的に最後になってしまった試合でスクイズを失敗した以降、高校ではバントを失敗した記憶はありません。

しかし内心は、打ちたい、打ってヒーローになりたいと思っていました。

犠牲バントは、極端に言うと無条件でひとつのアウトを相手に献上します。だから犠牲という言葉になっていると思うのですが、本当に『犠牲』なのでしょうか?

守っている相手から見てみると、ランナーが1塁にいるのと、2塁、3塁にいるのとでは、そのプレッシャーは全然変わってきます。

私は、会社の野球部(軟式ですが)に所属していましたが、そこではピッチャーもやりました。ピッチャーをやって気づいたのですが、ランナーが2塁や3塁に行った途端、ワンバウンドは投げられないという心理が出て、結果ボールが甘くなり打たれてしまった事が何度もありました。守っている場合でも同じです。エラー出来ない、暴投出来ないという心理から、体が硬くなったり、腕が縮こまってしまったりしてしまいます。

今考えると、これはホームランであっという間に1点取られるのよりも、遥かに嫌なことだったと思います。

そう考えると『犠牲バント』は、ヒッティングで結果的にホームランを打つといった攻撃と比べても『有効な攻撃』の手段だと言えます。

時々、あの犠牲バントから試合の流れが変わったと聞くことがありますが、まさにこういうことなんだと思います。

話は、ラグビーに戻ります。

フォワードからの攻撃は、決して一発でトライを取りに行くものでは無く、何度も何度も繰り返し行う事で、相手のディフェンスラインを崩して、最後に松島選手や福岡選手などバックスの華麗なトライに繋がっていくんだと思います。

そう考えると、このフォワードが愚直に前に突進していくのも、決して犠牲の攻撃ではなく、有効な攻撃手段のひとつと言えるんだと思います。

そんな中での、スコットランド戦での稲垣選手のトライは、本当に感動しました。

それでは、この事を仕事に置き換えて考えてみたいと思います。

仕事には、地味な作業だけれども、それをやらないと前に進まないとか、非効率のままになってしまうというものがあります。更に、それをやってもその成果があまり評価されなかったりもします。

その様な仕事は、これまで述べてきた『犠牲』と同じで、正直、やりたいと思う人はあまりいません。

しかし、私は、その様な仕事をコツコツとやってくれる人、率先してやってくれるのなら尚更、その人を評価していきたいと思います。

やってくれた人には、「ありがとう、君のおかげで、我々の部門は他の業務に集中でき、また効率的に進めることが出来て、大きな成果を上げることができたよ」とはっきりと声を掛けていきたいです。

そして、やってくれる人、やってもらっている人がその様な仕事の重要性や感謝の気持ちが持てる様な職場にしていきたいと思います。

コメントを残す